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東京地方裁判所 平成元年(ワ)14676号 判決 1995年6月27日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  請求原因1について

《証拠略》によれば、請求原因1の(一)の事実を認めることができる。同(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2について

1  《証拠略》によれば、請求原因2の(一)の事実を認めることができる。

2  請求原因2の(二)ないし(七)の各事実、同(八)のうち、昭和六一年七月二二日午前三時一分四〇秒、分娩監視装置の記録は中止されたこと、同(九)のうち、光子が、同日午前三時四〇分ころ、内診を拒否したこと、同日午前五時ころ、足が頻繁につれるなど症状を訴えたこと、同(一〇)の各事実、同(二)のうち、被告が、会陰部を切開し、クリステレル圧出法を併用して、吸引器を用いて、同日午前八時ころ、光子の胎内から胎児を取り出したこと、死胎児三三〇〇グラム、胎盤六〇〇グラム、血液七〇〇グラムが娩出されたこと、娩出時、早剥の確定診断をしたこと、同(一二)及び(一三)の各事実は、当事者間に争いがない。

3  右争いがない事実に加え、《証拠略》を総合すると以下の事実を認めることができる。

(一)(1) 光子は、昭和二七年一月二二日、出生し、昭和五〇年一月、原告正幸と婚姻したこと、

(2) 光子は、同年六月七日、訴外宇田川産婦人科医院において原告理恵を出産したが、出産前一か月の母体重の平均は五七・七キログラム、血圧の平均は一一一/六三、分娩所要時間は四・五時間、新生児体重は二九〇〇グラム、分娩時出血量は二五〇ミリリットルであったこと、

(3) 光子は、昭和五二年七月二六日、訴外宇田川産婦人科医院において原告義寛を出産したが、出産前一か月の母体重の平均は五六キログラム、血圧の平均は一一五/七〇、分娩所要時間は二時間四六分、新生児体重二九六〇グラム、分娩時出血量は二五〇ミリリットルであったこと、

(4) 右の出産は、いずれも順調で、光子が内診を拒否したり、痛みを訴えたことはなかったこと、

(二)(1) 光子は、昭和六一年四月二日、無月経及び胎動を主訴として被告医院を訪れたこと、

(2) 被告医院は、ベッド数一九床の診療所で、医師として、院長である被告、副院長である三輪医師、常勤医師として訴外佐藤美枝子医師(以下「佐藤医師」という。)がおり、被告と三輪医師は被告医院の五階に居住し、看護婦として、助産婦一名、看護婦約一五名、その他看護助手、看護学生を合わせて約二〇名おり、看護婦二名と看護学生一名は被告医院の四階に居住していたこと、被告医院は、分娩監視装置と超音波断層検査(以下「エコー」という。)の機器として、診察室に日立EUB三四〇を、分娩室に携帯型のアロカ・エコー・カメラ二一〇Fを備えており、血液検査については、一般検血、血沈、血小板の検査が可能であり、その他は検査センターに外注していたこと、また、帝王切開手術が可能であったこと、

(3) 光子は、同日、三輪医師の診察を受けたこと、光子は、最終月経は昭和六〇年一一月二〇日から四日間であったと申告し、三輪医師は、妊娠週数計算では妊娠五か月(一九週)であったので、分娩予定日を同年八月二七日としたこと、体重五六・八キログラム、子宮底長二二センチメートル、腹囲八七・五センチメートル、血圧一一七/七四、児心音良好で、蛋白、糖尿、浮腫は見られなかったこと、しかし、エコーにより、胎児大横経が五・八センチメートル、妊娠二三週の大きさと判明し、妊娠週数に比べて大きいため、三輪医師は、光子に一週間後来院するよう指示したこと、

(4) 光子は、同年四月一五日、佐藤医師の診察を受けたこと、体重五六・七キログラム、子宮底長二七センチメートル、腹囲八四センチメートル、血圧一二二/七二、児心音良好で、蛋白、糖尿、浮腫は見られなかったこと、エコーのBモード(オシロスコープ上の像のエコー表示が点として表示され、その輝点の大きさはエコーの強さに比例し、探触子の通過する経路に沿って患者の断面像が得られるもの)により検査した結果、胎児大横径六・六センチメートルと妊娠二五週相当の大きさがあり、この結果、分娩予定日は同年七月三〇日に変更されたこと、佐藤医師は二週間後に来院するよう指示したこと、

(5) 光子は、同年五月七日、佐藤医師の診察を受けたこと、体重五五・八キログラム、子宮底長二六センチメートル、腹囲八九・五センチメートル、血圧一二一/七六、児心音良好で、蛋白、糖尿、浮腫は見られなかったこと、エコーのBモードで胎児大横経が七・四センチメートル、三〇週相当と測定され、前置胎盤ではなかったが骨盤位(いわゆる逆子)であり、出産時の入院が予約されたこと、

(6) 光子は、同月一六日、佐藤医師の診察を受けたこと、体重五七・八キログラム、子宮底長二七センチメートル、腹囲八八センチメートル、血圧一一八/七七で、蛋白、糖尿は見られず、エコーのBモードにより、胎盤は子宮前壁付着であることが認められたこと、

(7) 光子は、同月二三日、三輪医師の診察を受けたこと、エコーのBモードによる骨盤位から頭位となったことが認められたこと、

(8) 光子は、同年六月一二日、佐藤医師の診察を受けたこと、体重五九キログラム、子宮底長三二センチメートル、腹囲九一センチメートル、血圧一二四/八一、児心音良好で、蛋白、糖尿、浮腫は見られなかったこと、血液検査において、ザーリー値(血色素量を示すもので正常値は一二以上)が一一・〇、ヘトマトクリット(正常値は三六から三八)が三二・三パーセントで、軽度の貧血が認められたこと、エコーのBモードにより、胎児大横経が九・〇センチメートル、妊娠三〇週相当と測定されたこと、

(9) 光子は、同月二六日、佐藤医師の診察を受けたこと、体重六〇・二キログラム、子宮底長二九センチメートル、腹囲九四・五センチメートル、血圧一三〇/八一、児心音良好で、蛋白、糖尿は見られなかったが、浮腫が-+で少し出現してきたこと、佐藤医師は、光子に対し、減塩食及び安静をとるよう指導したこと、

(10) 光子は、同年七月五日、三輪医師の診察を受けたこと、体重六〇・五キログラム、子宮底長三二センチメートル、腹囲九一センチメートル、血圧一二九/七四、児心音良好で、蛋白、糖尿は見られず、子宮口は閉じており、先進部は頭部で粘液性の白色の分泌物が認められ、浮腫が+であったこと、貧血を改善するためフェーマス(鉄剤)、コバマミドナカノ(ビタミン剤)が与えられたこと、

(11) 光子は、同月一二日、三輪医師の診察を受けたこと、体重六〇・五キログラム、子宮底長三二センチメートル、腹囲九五センチメートル、血圧一二六/七六、児心音良好で、蛋白、糖尿は見られず、子宮口は閉じており、先進部は頭部で粘液性の白色の分泌物が認められ、浮腫は+であったこと、

(12) 光子は、同年七月一九日、三輪医師の診察を受けたこと、体重六〇・八キログラム、子宮底長三三センチメートル、腹囲九六・五センチメートル、血圧一二〇/七七、児心音良好で、蛋白、糖尿は見られず、子宮口は一指開大、先進部は頭部で粘液性の白色の分泌物が認められ、下肢に浮腫が認められたこと、三輪医師は、安静目的での入院を勧めたこと、しかし、光子は、翌日、原告理恵が林間学校へ出かけることから、入院しなかったこと、三輪医師は、フェーマス、コバマミドカノのほか、浮腫を改善するためラシックス(降圧利尿薬)、アスパラ(電解質薬)を与えたこと、

(三)(1) 光子は、同月二一日午後一一時ころから、五分おきに陣痛があり、同月二二日午前一時三〇分、陣痛間隔が五分おきであることを被告医院に連絡したところ、入院を指示され、光子は、同五〇分、原告正幸とともに被告医院に来院し、入院したこと、

(2) 同日の被告医院の当直医は三輪医師であり、当直看護婦は佐々木看護婦、中村看護婦の二人であったこと、看護婦二名は、分娩室と同区域内のナースステーションにおり、三輪医師は仮眠室に居り、看護婦より呼び出しがあれば出て行く態勢にあったこと、同日は被告医院には約一〇名の入院者がいたが、いずれも褥婦であり、光子の外には分娩進行中の者はいなかったこと、

(3) 佐々木看護婦は、光子が入院したことを三輪医師に連絡したこと、三輪医師は、佐々木看護婦に対し、光子に潅腸をして分娩監視装置を装着するよう指示したこと、原告正幸は、自宅で待機するように告げられ、帰宅したこと、

(4) 光子は、分娩室に入室し、潅腸、半剃毛の処置を受けたこと、この際、陣痛間隔は五分で四〇秒継続し、血性分泌物が認められたこと、尚、ザーリー値は一〇、ヘトマトクリット値は三〇・一パーセントであったこと、同日午前二時一一分、光子に分娩監視装置が装着され、二リットルの酸素吸入が開始されたこと、

(四)(1) 同日午前二時三〇分、三輪医師が光子を内診したところ、子宮口は、五センチメートル開大、先進部は頭部で未だ高く、茶褐色の分泌物が少量認められ、児心音は、左臍腸骨棘線に聞こえ良好であり、陣痛は間欠五分、発作継続が四〇秒であったこと、

(2) 同日午前三時ころ、佐々木看護婦が分娩監視装置の心音計により児心音を計ったところ、毎五秒当たり一三・一三・一三であったこと、

(3) 同一分四〇秒ころ、光子が佐々木看護婦に分娩監視装置を外すよう求めたため、佐々木看護婦は、分娩監視装置のうち陣痛計を外し分娩監視装置の用紙を止めたこと、但し、佐々木看護婦は光子に児心音計は必要と説明し、心音計による測定は続けられたこと、

(4) 同四〇分、佐々木看護婦が、光子の陣痛が間欠二分、四〇秒の発作継続となり出産が近づいたため、光子を内診しようとしたところ、光子は体を触らせず、佐々木看護婦は内診を行わなかったこと、児心音は毎五秒当たり一三・一三・一三であったこと、

(5) 同日午前四時四〇分、光子の陣痛は、間欠二分、四五秒の発作継続となったこと、佐々木看護婦が状態の変化をみるため内診しようとしたところ、光子は内診を拒み、佐々木看護婦による内診は行われなかったこと、児心音は毎五秒当たり一二・一二・一二であったこと、

(6) 同日午前五時、光子の陣痛は間欠二分、三〇秒継続となり、三輪医師が内診したところ、子宮口は七ないし八センチメートル開大しており、足が頻繁につれるという症状があったこと、児心音は毎五秒当たり一二・一二・一二であったこと、

(7) 同日午前五時五〇分ころ、原告正幸から、被告医院に問い合わせがあったこと、看護婦は「まだ生まれていません。」と答えたこと、

(8) 同日午前六時二〇分ころ、光子が、あばれて分娩監視装置を外して起き上がり、ベッドから降りようとしたため、佐々木看護婦は、これを制止して理由を尋ねたところ、光子は小便がしたいとのことであったので、佐々木看護婦は導尿し、尿五〇ミリリットルが採取されたこと、その後、佐々木看護婦が光子を内診しようとしたところ、光子は、これを拒否し、分娩監視装置の心音計も外すよう求めたこと、佐々木看護婦は、心音計を装着し続けるよう説得したが、光子はこれに応じず、佐々木看護婦は分娩監視装置の心音計を外したこと、

(9) 同三〇分、三五分、佐々木看護婦は、ドップラー心音計により児心音を測定し、それぞれ毎五秒一二・一二・一二と測定されたこと、

(五)(1) 同四〇分ないし四五分ころ、中村看護婦が児心音を調べたところ、聴取できず、電話で三輪医師に児心音がはっきりしないと連絡したこと、

(2) 三輪医師は、直ちに、分娩室に赴いてドップラー心音計により児心音を聴取しようとしたが、児心音は認められず、また、エコー(アロカ・エコー・カメラ二一〇F)により検査したが、児心拍を確認できず、胎児胎内死亡と診断し、被告に連絡したこと、

(3) 被告は、エコー(アロカ・エコー・カメラ二一〇F)のBモードにより確認したが、やはり児心拍は認められなかったこと、

(4) 被告と三輪医師は、胎児死亡の原因として臍帯又は胎盤の異常を考え、エコー(アロカ・エコー・カメラ二一〇F)により検査したものの胎盤の画像は不鮮明であり、胎盤剥離の所見は認められなかったこと、

(六)(1) 同日午前六時五五分、佐々木看護婦は、原告正幸らに至急来院するよう連絡したこと、

(2) 同日午前七時、子宮口は九センチメートル開大し、児頭は骨盤内を下降して、陣痛が二、三分間隔で発作継続が四〇秒あり、板状子宮硬結、腹痛、子宮出血等の異常所見も見られなかったため、被告は、経膣分娩の方法を採ることとして、分娩促進を図るとともに子宮の内圧を下げるため人工破膜を行ったこと、破膜したところ、羊水は黄緑色に混濁していたこと、

(3) 被告は、分娩が遅延した場合を考慮し、被告医院の四階に居住している弓野珠美、吉田まゆみ、杉本摩理子らの待機看護婦に連絡し、処置を助けるとともに帝王切開手術の準備をするよう指示し、光子の右腕に翼状針を挿入して血管を確保し、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を始めたこと、

(4) 同三〇分、原告正幸が来院し、被告は原告正幸に対し、胎児が死亡したことを告げ、死亡の原因としては、臍帯の巻絡か、胎盤の異常の可能性があると説明したこと、

(七)(1) 同五〇分過ぎころ、光子は排臨となったこと、分娩室にいた三輪医師から隣室にいた被告に声がかかり、被告は、原告正幸に立ち会いを許可して分娩室に入室したこと、

(2) 陣痛が二、三分間隔で発来しており、光子に陣痛に合わせて自然に二回程力ませたが、娩出しなかったこと、

(3) 被告は、光子の右会陰側を切開し、吸引器の中カップを児頭へ着装し、三輪医師が、光子の横に立ち片手で一回子宮底付近を押してクリステレル圧出法を行い、同日午前八時、児を娩出したこと、

(4) 児娩出と同時に、血塊の付着した胎盤が娩出し、被告は、早剥と確定診断したこと、児体重三三〇〇グラム、胎盤重量六〇〇グラム、臍帯長六二センチメートルであったこと、

(八)(1) 同一分、被告は、臍帯血を採血し、全面剥離の中程度ないし重症であったため、弛緩出血とDIC発生の可能性を考え、左腕にも翼状針で血管を確保し、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルにチアミラーゼ(栄養剤)、グルタチオン(肝庇護剤)、ハイビリドキシン(ビタミン剤)、ビタミン剤、プロスタルモン(子宮収縮剤)、メイロン(電解質薬)、メンテルギン(子宮収縮剤)を加えた点滴を始め、子宮収縮を図るためアイスノンで腹部を冷却し、また、原告正幸に対して転院の可能性を告げたこと、

(2) 左頚管一か所に裂傷がみられ、縫合されたこと、光子の顔色は不良で、手足には冷感があり、湯タンポが用意されたこと、

(3) 同一四分、被告は、会陰切開部の縫合を終えるとともに、膣内ガーゼ三枚を挿入し、自動血圧計を装着したこと、この時の血圧は、一〇一/五八であったこと、右腕の翼状針をエラスター針に取り替え、サヴィオゾール(代用血液製剤)五〇〇ミリリットルの点滴を始めたこと、子宮底の高さは、臍下二横指の高さであったこと、

(4) 同一六分、被告は採血を行い、血沈検査をその場で行うとともに、一般検査、全身プロフィール[1]のほか、血液の凝固因子に関して血小板、フィブリノーゲン、プロトロンビン時間、PPT(血漿トロンビン時間)、PT(プロトロンビン)活性度、トロンボンテスト、ヘパプラスチンなどの検査を外注したこと、

(九)(1) 同一八分、光子の脈拍数は一三四であったが、血圧が八一/三三と急激に低下し、プレショック状態となったこと、この時点までの光子の出血量は、胎盤に付着した血塊(後血腫)、羊水二五〇ミリリットルを含めて七〇〇グラムであったこと、

(2) 被告は、ショック状態と考え、葛飾赤十字血液センターへ二〇〇ミリリットルの血液(保存血)を三本要請したこと、

(3) 被告は、原告正幸に対して、出血量が七〇〇ミリリットルと多く、輸血の事故及びDICを起こす可能性があり、その場合転院させると説明したこと、

(4) 同二三分、被告は、光子にソルコーテフ(昇圧剤)五〇〇ミリグラムを側管から注入したこと、同二四分、光子の血圧は七二/三三、脈拍数一〇七であり、顔色が不良であったこと、同二六分、光子の血圧は八二/三六、脈拍数一二〇であったこと、

(5) 同三八分、光子の血圧は、一〇一/五二に回復したこと、光子の顔色はやや不良であったが、意識は明瞭であったこと、

(6) 同四〇分、血液が到着したこと、三輪医師が、クロスマッチテストを行ったこと、

(7) 同四五分、光子の血圧は、八八/四四となったこと、被告は、光子に保存血一本二〇〇ミリリットルの輸血を開始し、患者監視装置(心電図、脈拍計)を装着したこと、光子の意識は明瞭であったこと、血沈の三〇分値は三であったこと、

(8) 同八時五〇分、光子の血圧は、一一一/八四、脈拍数一〇九ないし一三五であったこと、

(9) 同五一分、光子の血圧は、八五/三九、脈拍数一一六であったこと、

(10) 同日午前九時、三輪医師が、同日午前八時一八分以降の出血量を測定したところ、二八グラムであったこと、三輪医師は、ショックに備え排尿用バルンカテーテルを装着したこと、その際の尿量は二五ミリリットルであったこと、子宮底の高さが臍の高さとなって、収縮が悪くなり、被告らは、輸血後、血圧が上昇しないためDICを考え転送必要と判断し、原告正幸に説明し了解を得、同時刻ころ、順天堂浦安病院産婦人科に対し電話をし、経過を説明して転送を求めたこと、

(11) 同一〇分、光子の血圧は、八八/四二、脈拍一三三となったこと、同一一分、順天堂浦安病院の竹内助教授に電話がつながり、被告が移送を求めたところ、空ベッドの有無を確認するのでしばらく待つよう指示されたこと、血沈の一時間値は、一九であったこと、

(12) 同一八分、被告は、左腕からラクテック(輸液)五〇〇ミリリットルを追加し、右腕のエラスター針から二本目の輸血二〇〇ミリリットルを開始したこと、光子の血圧は、八五/三四、脈拍一一七であったこと、

(13) 同三四分、竹内助教授から被告に収容可能との連絡があり、被告は、直ちに、救急車を要請したこと、

(14) 同三五分、出血量を確認するため、被告、三輪医師立ち会いのもとにガーゼを抜去したこと、子宮底の高さは臍の高さで、子宮収縮は不良、子宮底を圧迫したところ、暗赤色出血が三〇〇ミリリットルであったこと、再度ガーゼ三枚を挿入したこと、

(15) 光子に背部痛があり、体動により右腕のエラスター針が抜けたため翼状針で血管確保され、サヴィオゾール(代用血液製剤)五〇〇ミリリットルの点滴が始められたこと、この段階で輸血は二本目が半分以上入っていたこと、

(16) 同三九分、光子の血圧は、九二/三〇、脈拍数は毎分一〇〇回となり、顔色不良であったこと、佐藤医師が手伝いに来たこと、三輪医師は、メイロン(電解質薬)三Aを側管から注入したこと。

(一〇)(1) 同四〇分ころ、光子の顔色は不良となり、突然眼の焦点が定まらなくなり、意識不明、心肺停止となったこと、

(2) 同四一分、被告が、気管内挿管を行って酸素の投与を開始し、同四二分、佐藤医師が心マッサージを開始し、三輪医師は、ボスミン(強心剤)一Aを側管から注入したこと、

(3) 同四六分、三輪医師が、ノルアドレナリン(強心剤)一Aの点滴を始めたこと、再度、救急車に連絡が取られたこと、

(4) 同五〇分、救急車が到着したが、救急隊は、都内の墨東病院へ移送したいと申し出たこと、被告は、救急を要するため距離的にも近い順天堂浦安病院へ移送するよう要請し、同日午前一〇時、被告、三輪医師、吉田看護婦、原告正幸が同乗して救急車で順天堂浦安病院と向け出発したこと、

(5) 救急車内では、挿管アンビューバックを使用して酸素を投与し、心マッサージを施行しながら、順天堂浦安病院に向かったこと、

(6) 同一五分、光子は、順天堂浦安病院救急室に入室したが、その時点では心肺停止の状態であったこと、血沈の二時間値は、四二であったこと、

(7) 入室後、光子に対し、心マッサージ、人工呼吸が行われ、血管を確保して救急薬品が投与され、心電図モニターが装着され、さらに静脈切開により輸血を開始したが、瞳孔が開き、光反射が見られなかったこと、

(8) 同日午前一一時、心肺が蘇生して、血液循環が再開し、心電図波形が認められ、血圧も一五〇/八〇と上がり、心マッサージを一時中止して様子を観察したこと、

(9) 内診が行われたが、子宮内の状態は確認できず、性器出血が継続して凝固しない状態が続き、間もなく、心電図上波形不整になり徐々に徐脈となって、心マッサージが再開されたが、心室細動様波形が出現し、DCショックを施行したが状態は改善されなかったこと、

(10) 同日午後零時一五分には光反射も消失し、心電図も平坦になり、手術は無理との判断で、病棟に転室し、同三〇分、高田教授により、光子の死亡が確認されたこと、

(11) 順天堂浦安病院では、輸血は四バック(八〇〇ミリリットル)行われたこと、

(12) 被告及び順天堂浦安病院側は原告正幸に対し、光子の司法解剖を勧めたこと、しかし、原告寅吉がこれに反対したため、光子の司法解剖は行われなかったこと、

(二)(1) 同日午後、胎児及び胎盤が、被告医院から順天堂浦安病院に届けられたこと、胎盤については病理組織検査が行われたこと、

(2) 同月二三日、外注に出した血液検査の報告が被告医院に届けられたこと、検査の結果では、白血球数一万六九〇〇(正常参考値四五〇〇ないし八〇〇〇)、赤血球数三四七(正常参考値三八〇ないし四八〇)、血色素量一〇・〇(正常参考値一二ないし一五・二)、ヘトマトクリット三〇・一(正常参考値三四から四二)、血小板数二四(正常参考値一二ないし四〇)、中性脂肪四四八(正常参考値四〇ないし一七〇)、PPT(血漿トロンビン時間)一一・五(正常参考値八ないし一二)、PT(プロトロンビン)活性度一〇〇(正常参考値八〇ないし一〇〇)、トロンボテストGT一〇〇(正常参考値GT七〇)、PTT(部分トロンボプラスチン時間)五二(正常参考値四〇ないし一〇〇)、APTT(活性部分トロンボプラスチン時間)二八・五(正常参考値二八・〇ないし三六・五)、CA(血漿カルシウム)再加凝固時間九一(正常参考値九〇ないし一四〇)、フィブリノーゲン二四〇(正常参考値一七〇ないし四一〇)、ヘパプラスチン一五二・四(正常参考値七〇ないし一三〇)であったこと、

(3) 同月二九日、胎盤についての病理組織検査の報告がなされ、検査の結果、肉眼所見として、重量八五六グラム、面積一六・五×一六・五×二センチメートル、胎児面に絨毛膜下フィブリンが斑点状に沈着し、血管は充満、母体面の性状は不完全で、暗赤色、軽度の石炭化があり、血塊はなく、割面は、暗赤色、海綿状であり、梗塞はなく、顕微鏡所見として、羊膜、絨毛膜に炎症はなく、臍帯動脈中にフィブリンの固まりがみられ、縅毛間血栓、石炭化がみられたこと、

以上の事実を認めることができ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は採用することができない。

4(一)  ところで、原告らは、順天堂浦安病院の記録中の退院時要約(1)には、「葛西産婦人科での経過」として、午前三時四〇分、陣痛間隔二分、この頃より不穏状態となり看護婦のいうことを聞かなくなる、同八時、死産後も出血持続、同八時五〇分、血圧一一一/八四、脈拍一〇九ないし一三五、同九時一〇分、血圧八八/四二、脈拍一三三、同一八分、血圧八五/三四、脈拍一一七などと被告のカルテ記録とは明らかに異なる記載があるところ、順天堂浦安病院の記録は被告のメモによる報告説明に基づいて記載されたものであり、これが被告のカルテ記録と違う以上、被告のカルテの記載は信用できないと主張する。

しかしながら、順天堂浦安病院の記録には、プレショック状態となった同日午前八時一八分の血圧低下の記載がなく、必ずしも順天堂浦安病院の聞き取りが正確であるとすることはできず、また、血圧の変化についても、同日午前八時五〇分、午前九時一〇分、同一八分については、順天堂浦安病院の記録にはあるが、被告のカルテ、看護記録には記載がなく、被告本人は、自動血圧計の測定をメモして口頭で順天堂浦安病院側に伝えたと供述しており、これらの事実を総合すれば、被告医院のカルテ及び看護記録の記載は、発生した事実を全て記録していないが、被告らが、カルテ及び看護記録に虚偽の事実を記載したとか被告に不利な事実を記載しなかったとは認められない。

(二)  また、原告正幸は、死亡胎児娩出に当たり、まず、三輪医師が吸引を担当して、看護婦が、光子の上に覆い被さるようにして体重をかけて、クリステレル圧出法を八ないし一〇回行ったが娩出されず、次は、被告が、会陰を切開した上、吸引を行い、鉗子を用いて胎児を娩出したが、その際も、看護婦がクリステレル圧出法を四ないし五回行った旨供述する。

しかし、鑑定の結果によれば、クリステレル圧出法は、分娩第二期で、児頭がかなり下降しているにもかかわらず、妊婦が腹圧を十分にかけられない場合とか、吸引分娩などの際の牽引力を補助する目的で、妊婦の腹壁上から子宮体部を両手で圧迫する方法であるが、過激に行うこと、頻回に行うこと、粗暴な操作は禁忌であることが認められるところ、本件において、胎児が死亡しているとはいえ、被告らが原告正幸の供述するような過激粗暴な施術を行わなければならない事情はうかがわれないところであって、むしろ、この点についての光子の横に立ち片手で一回子宮底の付近を押したとの証人三輪治子の証言は、合理的な内容ということができる。そして、原告正幸本人尋問の結果によれば、原告正幸は、死産であることを聞き、相当程度動揺していたと認められるのであり、原告正幸の右供述を証人三輪治子の証言を覆すに足りるものであるとすることはできない。

したがって、本件において、クリステレル圧出法は、三輪医師が、光子の横に立ち片手で一回子宮底の付近を押したものに止まるとするのが相当である。

(三)  また、原告らは、順天堂浦安病院の記録中の退院時要約(2)には、「大量出血、ショックとなったため当院への救急入院」と、看護要約には、「分娩時出血、ショック改善されず救急車にて入院」と、入院時所見には、「午前三時四〇分不穏状態となる。(中略)胎盤と同時に娩出す。出血持続血圧低下、昇圧剤使用するも上昇せず、救急車にて救急室搬送」と、産婦人科外来診療録には、「(娩出)その後性器出血とまらず、血圧も下降してきたため当院へ救急入院」と、入院診療録及び退院時要約(1)には常位胎盤早期剥離大量出血、ショック、DICと、死亡診断書には、「常位胎盤早期剥離よりショックを生じ、心不全となって、死亡。発病から死亡まで九時間」とそれぞれ記載があり、これらによれば、早期剥離が生じて、大量出血が起こり、ショックとなってDICを誘起し、心肺停止に至ったと理解されると主張する。

この点について、証人石川克美は、光子は、順天堂浦安病院に到着する以前に二〇〇〇ないし三〇〇〇ミリリットルの出血があった旨証言し、原告正幸本人は、娩出時に血が飛び散った旨供述し、《証拠略》によれば、順天堂浦安病院の臨床病理組織検査依頼票には出血量二〇〇〇ミリリットル以上と記載されていることを認めることができる。

しかし、順天堂浦安病院の記録中の大量出血、出血持続といった記載は、出血量、出血時間等の具体的な記載を欠いており、証人石川克美も出血量は推定であり、推定するのは困難であると証言し、臨床病理組織検査依頼票の記載も出血の時期が特定されていないこと、《証拠略》によれば、分娩時における五〇〇ミリリットル以上の出血を異常出血ということが認められるところ、被告のカルテに記載された総出血量は一〇二八ミリリットルであり、光子の出血は異常出血といえ、また、被告のカルテの記載によれば、娩出から一時間三五分経過した同日午前九時三五分に三〇〇ミリリットルの出血が認められたと記載されていること、右(一)のとおり、被告のカルテ及び看護記録の記載が虚偽であるとすることはできないこと、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、内出血の可能性は、病理解剖をしていないため否定できないが、腹腔内に血液が貯溜していることが推測されるような症状の記載はないとしていること、《証拠略》によれば、胎盤は中等症や重症では、胎児娩出後に凝血とともに飛び出すように娩出されることが多いとされていることからすると、被告のカルテ及び看護記録に記載された以上の出血はなかったとの《証拠略》は、いずれも信用することができ、順天堂浦安病院の記録中の大量出血、出血持続といった記載は、一〇二八ミリリットルの総出血量、娩出から一時間三五分経過した時点での三〇〇ミリリットルの出血についての被告側の説明を受けて記載されたものにすぎず、原告正幸の供述も大量出血を意味するものではなく、被告医院において、娩出時及び娩出以降に右以上の出血があり、これが持続したとすることはできない。

四  《証拠略》によれば、氏名不詳の医師(以下「某医師」という。)は、本件において、尿量の減少が認められるのに、子宮壁の板状硬化、早剥に特徴的な外出血、尿量以外のショック症状が認められなかったのは不自然であるとしている。

しかし、右認定のとおり、光子には、顔色不良、手足冷感といった症状が認められるのであり、尿量以外のショック症状が全くなかったものではなく、症状として不自然ということはできず、右(三)のとおり、被告のカルテ及び看護記録の記載が虚偽であるとすることはできないところ、右のとおり、被告らは、胎児死亡後は早剥も念頭において診療に当たっていた以上、子宮壁の板状硬化、早剥に特徴的な外出血、尿量以外のショック症状が発現すれば、これに気づくのが自然であるのに、《証拠略》によれば被告のカルテ及び看護記録には、それをうかがわせる記載がないことが認められるのであり、光子に子宮壁の板状硬化、早剥に特徴的な外出血、尿量以外のショック症状が現れたとすることはできない。右の某医師の見解は、早剥という結論に基づく推測に止まるものであり、右認定を覆すに足りるものとはいえない。

(五) そして、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  請求原因3について

1  請求原因3の事実は当事者間に争いがない。

2  子宮破裂及び羊水塞栓について

(一)  《証拠略》によれば、子宮破裂は、突発し、典型的な子宮破裂には、切迫破裂の症状があり、腹部激痛、過強陣痛、不安と興奮、収縮輪上昇などがあって破裂を起こし、陣痛停止、胎児・胎盤等の腹腔内排出、胎児死亡、母体ショックに陥るが、非典型的不全破裂例が少なくなく、ショック・貧血は一般に高度で外出血量に比例せず、子宮や腹部の形の非対象性変化を認め、外診で腹壁下に胎児部分をよく触れ、異常部位も認められ、内診で胎児下降部が後退・消失し、子宮底は触れ難く、腹囲は増加することが認められる。

前記二認定によれば、本件においては、光子に右のような子宮破裂の症状は認められず、《証拠略》によれば、医学博士一宮勝也(以下「一宮博士」という。)は、本件について、子宮破裂を発症していたのなら、明白な腹膜刺激症状がみられたはずであるのに、カルテ及び看護記録にはこれを思わせる記載が一切なく、子宮破裂を考える必要はないとしていることが認められ、また、証人石川克美は、病理解剖をしていないため子宮破裂を否定することはできないが、臨床診断からすると早剥の方が考えやすいと証言していることからすると、光子が子宮破裂であった可能性は乏しいとするのが相当である。

(二)  《証拠略》によれば、DICの基礎疾患として、羊水塞栓症が挙げられること、羊水中には、胎脂、胎毳、剥脱細胞成分、胎糞由来の浮遊成分等が存在し、これらが体血中に入ると、右心、肺動脈を経て、肺の微小循環系を閉塞し、急性肺循環不全を起こし、最重篤の場合は急性肺性心の状態で急死し、死亡に至るまでの時間は、発症後三〇分以内が三〇パーセントを占めるといった早期死亡例が多く、死亡を免れても、羊水中の凝固促進物質により、DICに進展すること、羊水塞栓症の急性期の診断は、臨床症状からは難しく、最終的には、肺の病理的所見という剖検時の確診ということになること、また、早剥にDICが好発する原因として、胎盤剥離部からの羊水の母体血管内流入も挙げられることが認められる。

そして、前記二認定のとおり、本件においては、少なくとも同日午前一時五〇分に被告医院に入院した時点では正常であった光子が、その約八時間後の同日午前一〇時一五分に順天堂浦安病院に転送された時点では、心肺停止の状態に陥っており、しかも、光子がプレショックに陥ったのは、同日午前八時一八分のことであって、急速な容体の変化をたどっていること、また、同日午前七時、人工破膜が行われていること、《証拠略》によれば、鑑定人鈴木秋悦及び東京女子医科大学産婦人科教授武田佳彦(以下「武田教授」という。)は、本件では、病理解剖がなされておらず確定診断はとれていないが、病状の急速な悪化から考えて、分娩後に合併した羊水塞栓症の可能性も否定できないとしていることからすると、本件において、光子に羊水塞栓が合併した可能性は否定できないというべきである。

四  請求原因4について

1  請求原因4(一)について

(一)  妊娠中毒症について

(1) 《証拠略》によれば、妊娠中毒症が早剥の基礎疾患となっていることが多く、高血圧、尿蛋白、浮腫の有無について観察すべきであるとする文献があり、《証拠略》によれば、一宮博士は、浮腫と早剥とは、直接の関係はないが、早剥と妊娠中毒症との関係はかなり高いとみられ、妊娠中毒症と診断されていなくとも、浮腫、尿蛋白の傾向については注意が必要としていることを認めることができるが、早剥の基礎疾患としての妊娠中毒症の内容として高血圧、蛋白尿を挙げるにすぎない文献、妊娠中毒症と早剥との関係については、見直しがなされており、妊娠中毒症の三大徴候である高血圧、浮腫及び尿蛋白が顕著であった例は早剥群に圧倒的に高頻度であった反面、早剥患者の半数以上の例はこれらの徴候のみられなかった事実が報告されているなどとする文献、妊娠中毒症の三大徴候とは関係のなさそうな早剥もかなりあることは事実であるとしても、重症妊娠中毒症の場合には、常に早剥の発生の危険が高いことを考えておく必要があるとする文献があることが認められる。

また、《証拠略》によれば、武田教授は、早剥と妊娠中毒症との関連が強いことはよく知られた事実であるが、早剥に関連する妊娠中毒症はすべて重症妊娠中毒症で、ことに高血圧主体の妊娠中毒症であり、また、浮腫だけでは妊娠中毒症の範疇に入れないのが最近の考えであるとしていることが認められる。

(2) これらからすると、早剥と妊娠中毒症との関係については、妊娠中毒症の三大徴候である高血圧、浮腫及び尿蛋白が顕著な重症妊娠中毒症に早剥は高頻度にみられるものの、その他の場合、妊娠中毒症と早剥との関連は必ずしも高度のものではなく、また、早剥との関連で注意すべき妊娠中毒症の症状として、浮腫は必ずしも重視されないとするのが相当である。

(3) 本件においては、前記二認定のとおり、光子が分娩のため被告医院に入院するまでの経過としては、同年六月二六日の診察の時点で、浮腫が現れ始め、三輪医師は、同年七月一九日、浮腫を改善するためラシックス、アスパラを光子に与えたが、血圧、尿に異常はなかったのであり、また、鑑定の結果によれば、本件においては、妊娠中毒症の三大徴候である高血圧、蛋白尿、浮腫は、いずれも診断基準を満たしておらず、光子に浮腫が現れたことが、直ちに妊娠中毒症の発症の具体的な危険性が生じたものと認めることはできないし、被告ら医師側が、妊娠中毒症の発症による早剥の危険性を前提に診療に当たるべき義務が生じたとすることはできず、医師は、妊娠中毒症発症への予防的指導を行っていることが認められるのであるから、被告らに光子の監視について注意義務違反があったとすることはできない。

(二)  分娩監視装置による記録について

(1) 原告らは、同年七月二二日午前三時前から分娩監視装置の記録上の児心音が平坦になっていたにもかかわらず、これを注意して調べることをせず、その記録を止めたばかりか、装着を外していると主張する。

(2) 《証拠略》によれば、早剥例では、陣痛は不定であり、早剥発症時や軽度の早剥では、胎児低酸素症に対応して一時的な頻脈がみられ、早剥が進展してくると遅発一過性徐脈や心拍細変動の低下を示す胎児仮死の徴候を示し、胎児が死亡する直前では細変動の消失を伴う持続的な徐脈を呈し、あるいは、比較的短い周期の子宮収縮、時間を追って子宮内圧の上昇を示す陣痛曲線の基線の上昇、遅発性徐脈や遷延性の徐脈が認められるとされること、児心音数は、陣痛発作時には、緩徐となるが、間欠時には回復して一二〇ないし一四〇となり、一般に一分間一二〇ないし一六五の間は正常範囲とされており、一六五ないし一七〇及び一〇〇ないし一二〇の時は軽度の低酸素症、一七〇以上又は一〇〇以下の時は高度の低酸素症と考えられ、間欠時にも一〇〇以下のまま回復しない時、あるいは、間欠時に一七〇以上にも達し、不規則ないし微弱となる時は胎児仮死の危険徴候と考えなければならず、特に徐脈に注意すべきであるとされることが認められる。

(3) 《証拠略》によれば、同日午前二時五〇分前後の児心音の記録の波形と同日午前三時ころの波形を比較した場合、後者の波形は変動幅が小さくなっていること、《証拠略》によれば、某医師は、本件について、同日午前二時五七分ころ、約五分間の間微細変動の消失を疑わせる児心拍曲線がとれているとしていることが、それぞれ認められる。

しかし、《証拠略》によれば、分娩監視装置の記録上の同日午前三時ころの波形と同程度に変動幅が小さくなっている波形が、同日午前二時一五分前から同三〇分ころまでの間の記録上にも存することを認めることができ、両者の間に顕著な差異があるとすることは困難である。そして、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、分娩監視装置の記録上、同日午前二時五七分ころ、異常はなく、中止の時点でこれ以上モニタリングを継続する必要性はなく、モニタリングを継続するか否かは各施設の裁量に任されており、それ以降も装着を継続すべきであったとすることはできないとしていること、《証拠略》によれば、武田教授は、同日午前二時五五分の陣痛発作の前後に一過性頻脈があり、それに同期した胎動と認定される変化が陣痛曲線上に明瞭に記録されており、これらは胎児機能が正常であるとする判定基準を全て満たしているとしていることを認めることができる。これらからすると、この点についての被告本人の、微細動の有無は、二、三分の単位で判断するものではなく、約二〇分間の記録により判定するものであり、同日午前二時五七分前後の波形だけをみて判断することは正しくなく、右時点においても胎児の反応は存し、記録を全体的にみれば、児心拍数は、約一二〇から一六〇の範囲内にあって頻脈等はなく、その中で微細変動があるのであるから、異常とはいえず、また、本件当時の分娩監視装置の使用方法としては、約四〇分間装着すれば、異常の有無は判断できるとされており、その後も装着を継続する必要はなく、被告医院では、四〇分間装着した後は、昼間は医師の判断により、夜間は看護婦の判断により、分娩監視装置を外すという取り扱いをしていた旨の供述は、医学的知見として根拠があるとするのが相当である。

したがって、本件において、同日午前二時五七分ころ、分娩監視装置の記録上に異常な波形又は異常をうかがわせる波形が現れたとすることはできず、また、本件当時の医療水準からすると、分娩監視装置の装着は約四〇分を目処として行い、その間に異常がなければ、その後装着を継続するか否かは医療機関の裁量に任されていたのであり、前記二認定のとおり、佐々木看護婦は、同日午前二時一一分から同日午前三時一分四〇秒ころまで約五〇分の間、光子に分娩監視装置を装着して記録しており、右記録上も格別の異常があったとは認められないし、分娩監視装置による記録を継続しなければならないと認められるような事由も存しない以上、その後、分娩監視の記録を止めたとしても、医療機関の裁量の範囲内であって、被告ら医療側に分娩監視装置の記録の観察を怠ったことについての注意義務違反があったとすることはできない。

なお、証人三輪治子は、同日午前二時五七分ころの時点で、胎児は寝ていたかもしれないし、仮死だったかもしれない旨証言しているが、同時に、胎児仮死が発生した場合、胎児が寝ている場合ともに児心拍の波形がフラットになることがあり、右児心拍の波形がフラットになったとしても、それが必ずしも異常が起きたものと断ずることはできず、同日午前二時五七分時点の分娩監視の記録をみても、低酸素状態を示す心拍数の低下等の異常は認められない旨を証言しているところであり、右証人三輪治子の証言をもって被告ら医療側に分娩監視についての義務違反があったと認めることはできない。

2  請求原因4(二)について

(一)  原告らは、佐々木看護婦は、光子が体を触らせず内診を拒否するといった明らかな異常がみられる同日午前三時四〇分には、分娩監視装置を止めているのに、他の診断方法によって補うこともせず、同日午前四時四〇分ころの内診拒否、同日午前五時ころの足が頻繁につれるなど症状の訴え、同日午前六時二〇分ころの内診拒否、体を動かし、暴れて分娩監視装置を外し、ベッドから降りようとする行動といった光子の腹部疼痛に基づく異常を表すサインを勝手に光子のわがままと受け取り、これを異常とみて医師に知らせず、異常を察知し、これを医師に知らせる義務に違反したと主張する。

(二)  《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 胎盤が剥離すると母体血管の末端から出血を生じ、胎盤母体面に血液がたまって胎盤後血腫を作り、血液が子宮外へ流れ出る場合もあり、他の一部は、周囲の組織に浸潤し、胎盤に浸潤したものは胎盤に厚みを帯びさせ、胎盤を透過して子宮内に浸潤すると羊水が混濁することがあり、子宮筋層や漿膜下、卵管などにも出血変化が及び、子宮に浸潤透過して腹腔に浸潤し腹水を血性にすることもあること、

(2) 早剥においては、一般的には、子宮底が急に上昇し、子宮は持続的に収縮を続け、患者は、しばしば表現し難い不快感を訴え、あるいは、剥離部の子宮壁に急激な疼痛を生じ、圧痛、自発激痛となり、腰部、肛門部にも放散するので、横臥しているのもつらい状態になり、後血腫が増大してくると胎盤を押し上げ、更に剥離部を広げると共に、胎児側の羊水圧を高め、腹が一層張って固く感じられる(板状硬結)ようになって、胎児部分の識別は困難となり、痛みも増し、子宮内に血液貯溜があると子宮の強直状態にもかかわらず、子宮が増大して緊張し、腹囲は大きくなり、陣痛の間欠時に外出血を訴えるが、外出血量は概して多くなく、必ずしも外出血がみられるとは限らないこと、

(3) 母体は、急性貧血となって、顔面蒼白、口唇にチアノーゼを認め、さらに母体合併症として、出血性ショック、血液凝固系の異常や腎機能障害等が現れ、母体ショックとなれば、悪心、嘔吐、あくび、四肢冷却、呼吸促迫、胸内苦悶などを呈し、血圧・脈圧低下、意識喪失などの全身状態の急変をみることがあるが、外出血量とは比例しないこと、

(4) また、胎児は、重症の場合、胎児仮死による胎動の異常亢進から、児心音消失、胎動消失に至ること、

(5) 外診により、眼瞼結膜、爪床の貧血状態、全身状態から胎盤剥離面の内出血の程度を推測し、重度の場合、子宮底上昇、腹壁の緊張、胎盤剥離箇所の圧痛、板状硬結による胎児触知の困難、胎動及び児心音の減弱・消失、陣痛の不定などが認められること、

(6) 内診として、子宮口が開大している場合、胎盤でなく胎児部分を触知でき、緊張した卵膜を触知することができること、

(7) 検査としては、諸検査を施行する時間的余裕がないことが多いが、正確な診断と治療のため、超音波ドップラーによる児心音の有無の確認、心音が確認された場合には分娩監視装置による監視、エコーによる胎盤後血腫の有無の確認、血液検査、尿検査を行うべきであるとされること、

以上の事実を認めることができる。

(三)  前記二認定のとおり、光子が、同日午前三時一分四〇秒ころ、佐々木看護婦に分娩監視装置を外すように求め、同四〇分、佐々木看護婦の内診を拒否し、同日午前四時四〇分、佐々木看護婦の内診を拒否し、同日午前五時ころ、三輪医師の内診を受けたものの、足が頻繁につれるとの症状を訴え、同日午前六時二〇分ころ、あばれて分娩監視装置を外して起き上がり、ベッドから降りようとした上、内診を拒否し、分娩監視装置の心音計も外すよう求めるといった行動が、光子の早剥に基づく腹部疼痛の現れであったといえるかについて検討する。

(1) この点、《証拠略》によれば、光子の死亡診断書では、早剥の発症から死亡までの時間は約九時間とされていること、《証拠略》によれば、某医師は、二度の経産婦である光子が、内診を拒否すること自体異常であり、これは、早期剥離の最も早い徴候の一つの子宮過敏症で、順天堂浦安病院の記録に記載された不穏状態とは、出血性ショックの徴候であり、自覚症状である下腹痛よりも他覚的な子宮過敏症の症状を重視すべきであって、本件において、早剥は、胎児死亡の少なくとも一時間以上前から、おそらく子宮過敏症が出現した一時間ないし二時間位前の時点で早剥が発生したもので、同日午前二時ないし午前三時の間より遅いことはないとしていること、一宮博士は、二度の経産婦である光子が、内診を拒否することは異常であり、また、同日午前五時には、子宮口は七ないし八センチメートルで全開大に近く、陣痛時間も長くなる筈であるのに、逆に減って陣痛が弱くなっているのは異常であり、児心音が正常である以上、母体か胎盤に異常があることがわかるはずで、同日午前六時二〇分の時点の光子の状態を検討すれば、妊婦が体に触らせず、内診を拒否し、分娩監視装置を勝手に自分で外したりしたのは、子宮過敏症のためであることが診断できた筈で、早剥は、少なくとも同日午前三時四〇分前から進行しており、剥離が進行して妊婦が異常を来した時間が、右時刻ころではないかと考えられるとしていることを認めることができる。

(2) 他方、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、分娩前後の妊婦の行動に関しては、個人によって全く異なり、看護記録に記載されている患者の行動は、早剥時の通常の症状とは考えにくく、胎児死亡前において、早剥の明確な症状はなく、本件での早剥の発生を光子の死亡の約九時間前と推定することは可能であるが、早剥の発生時刻を正確に推測することは難しく、胎盤の全剥離が児心音消失直前に惹起されて、胎児の状況が急速に悪化したものか、剥離が徐々に進行して、軽症から重症に移行したのかは不明であり、潜在的に早剥が進行して早剥の臨床症状を全く欠落している症例も少なくないとしていることが認められる。

また、《証拠略》によれば、武田教授は、分娩監視装置で良好な記録を得るための仰臥位は、妊婦にとっては苦痛で、神経質な産婦が取外しを求めることは少なくなく、内診拒否は、神経質な産婦には時としてみられ、陣痛時に大騒ぎをすることは時々あり、看護婦を医師ほどに信用していなかったためであり、光子に高度の貧血、血圧低下等はなくプレショック状態ではなく、全面剥離の早剥では、突発する下腹痛とともに強直子宮収縮(板状硬)に移行し、児心音は急速に悪化消失して、疼痛は激烈なことが多く、本件の光子の状態とは全く異なるのであるから、順天堂浦安病院の記録の不穏状態とは、産婦の非協力的な態度を述べたものにすぎないとし、また、早剥の経過は、症状発現後は部分剥離であっても急速に進行するもので、同日午前三時四〇分ころに早剥の徴候が現れたとすれば、その後、心拍数が二時間以上正常範囲を保つことはほとんどあり得ないにもかかわらず、同日午前六時三〇分の児心音は正常で、早剥では、陣痛は強直性に強くなって痙攣陣痛に陥ることが多く、陣痛周期が延長するものでないにもかかわらず、同日午前五時の段階で、陣痛が弱まっており、さらに、破膜時、羊水が血性でなかったことは、早剥が短期間に進行したことを裏付けるものであるから、同四五分に児心音が消失するまでの間に、早剥の症状が発現したと考えるのが常識であるとしていることを認めることができる。

(3) 以上からすると、本件において、光子が、同日午前三時一分四〇秒ころ、佐々木看護婦に分娩監視装置を外すように求め、同四〇分、佐々木看護婦の内診を拒否し、同日午前四時四〇分、佐々木看護婦の内診を拒否し、同日午前五時ころ、足が頻繁につれるとの症状を訴え、同日午前六時二〇分ころ、あばれて分娩監視装置を外して起き上がり、ベッドから降りようとした上、内診を拒否し、分娩監視装置の心音計も外すよう求めた行動は、光子に異常が生じたことをうかがわせるが、先に認定した事実経過からすると、胎児の児心音が消失するまでの間、光子には、早剥の一般的な症状のうち、不快感と考えられる症状は認められるものの、子宮底の上昇及び継続的収縮、板状硬結、疼痛、急性貧血の症状などは認められず、胎児死亡の直前まで児心音の異常も認められていない。そして、本件の出産と以前の出産との間には約九年間の間隔があって、両者の経過を同列に論じることができるか否かには疑問があり、光子の行動を直ちに早剥に基づく異常であるとすることはできない。したがって、本件において、同日午前六時三〇分以降、早剥が急速に発症した可能性は否定できないとするのが相当であり、光子の同日午前三時以降の行動が早剥を原因とする異常の現れであるとするに十分でなく、早剥の発症時としては、児心音が消失した同日午前六時四〇分ないし四五分ころ以前という以上の特定はできないというべきである。なお、原告らは、娩出時に胎盤に付着していた血塊が形成されるまでの時間を四ないし五時間とするようであるが、被告本人は、四〇分から一時間くらいと供述し、証人三輪治子及び同石川克美は、特定は困難であると証言し、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は五分以内としているのであり、血塊の状態から早剥の発症時を推測することは困難といわざるを得ない。

そして、他に原告主張を認めるに足りる証拠はない。

(四)  また、仮に、光子の同日午前三時以降の行動が早期剥離を原因とする異常の現れであったとしても、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、分娩前後の妊婦の行動は、個人によって全く異なり、不穏状態を早剥の一徴候としてとらえ、直ちに病的状態と診断することは、臨床的に非常に難しく、ドップラー心音計による児心音の有無の確認では、早剥による胎児の変化を掴むことはほとんど不可能であって、児心音の消失という直接的なサインによって初めて早剥を考えるに至ったとしてもやむを得なかったとしており、又、武田教授は、神経質な産婦が分娩監視装置の取外しを求めることは少なくなく、内診拒否は、神経質な産婦には時としてみられ、陣痛時に大騒ぎすることは時々あり、看護婦を医者ほどには信用していなかったためにすぎないとしていることが認められることからすると、光子の右行動から早剥を疑うことは困難であると認められるのであり、これらの事実と光子には子宮底の上昇及び継続的収縮、板状硬結、疼痛、急性貧血等の早剥の発症を示す一般的な症状は存しなかったことを併せ考えると、被告ら医療側が、光子の前記行動が早期剥離に起因する異常行動であると判断せず、むしろ光子のわがままと受け取ったとしても、医療側に課せられた注意義務に違反したとするには十分でない。

3  請求原因4(三)について

(一)  原告らは、本件当時、医師として三輪医師と被告の二人がいたが、三輪医師は、同日午前二時三〇分に光子から茶褐色の下り物があったにもかかわらず、これが血性のものであったかを検討しておらず、また、三輪医師及び被告は、同日午前二時三〇分以降六時四〇分まで診察せず、光子に生じた異常を見落としたと主張する。

(二)  前記二認定によれば、同日午前二時三〇分に光子から茶褐色の下り物があったことが認められるが、仮にこれが血性のものであったとしても、その後、胎児娩出に至るまで外出血は認められておらず、しかも、本件における早剥の発症時期は、児心音が消失した同日午前六時四〇分ないし四五分ころ以前であるとしか特定できないのであるから、血性の下り物があったことをもって早剥の一所見とすることは困難であり、被告らが、右時点から早剥の発生を予測して対処しなかったとしても、注意義務を怠ったとすることはできない。

(三)  前記認定のとおり、三輪医師は、同日午前五時に光子を診察しているのであり、また、右時点における光子の状態から早剥を疑わなかったとしても、注意義務違反があったとすることはできない。

4  請求原因4(四)について

(一)  原告らは、被告らは、同日午前六時四五分ころに胎児死亡が確認された時点で、胎盤の異常、特に早剥に気づき又はこれを疑って検査を行い、早期剥離と診断した上で、羊水の混濁もあったのであるから、適切な分娩処置を行うか大病院への転送を図るべきであったのに、早剥を全く疑わずに通常の分娩処置しか行わず、クリステレル圧出法を併用して、光子の症状を悪化させたと主張する。

(二)  《証拠略》によれば、早剥が発症した場合には、全身状態の把握、性器出血の有無、陣痛状況、胎児の生死などをすばやくチェックするとともに、第一次救急処置(VIP療法-気道の確保・酸素吸入、静脈確保・輸液・輸血、心拍出量の確保)を迅速に実施すべきであり、ショックスコアやショック指数、DICスコア等による診断をするほか、超音波検査により、子宮内状況を観察することが必要であり、急速遂娩を行い子宮を収縮させ、止血を図ることが基本であり、分娩方法の選択については、早剥は、発生後時間の経過とともに母児の予後も悪くなるので、一刻でも早い胎児及び胎盤の娩出が必要となることが認められる。

(三)  ところで、原告らは、同日午前六時四〇分ないし四五分ころ、児心音が聴取できなくなった後、エコーによる検査で胎盤の所見が不明であったのは、被告が早剥の確認をしようとしなかったためであり、エコーによる早剥の確定診断がされなかった点に過誤があると主張する。

(1) 《証拠略》によれば、被告のカルテには、同日午前六時四〇分に児心音の確認をした旨の記載はあるが、胎盤の状態についての記載がないことが認められる。また、《証拠略》によれば、エコーによる早剥の所見として、後血腫による特有のエコーフリースペース、胎盤の厚みの増大、絨毛板の膨隆、子宮内エコーの増加という形での羊膜腔の混濁、胎盤辺縁部の丸み帯びなどがみられるとする文献があること、《証拠略》によれば、エコーによる胎盤状況の観察は非常に有効で確定診断となるとしている文献があることを認めることができ、《証拠略》によれば、一宮博士は、エコーの診断力は九〇パーセントは超えており、エコーを色々動かせば早剥は、まず発見することができ、本件では胎盤が、同年五月の段階で、子宮前壁に付いており、出産時に変わっているはずがなく、また、患者は、初診時一四八センチ、体重五二キロと太ってはおらず、特別脂肪がある訳ではないから何の妨げもなく、午前六時四五分にエコーを当てて心音停止を聞き取り、確認しているものの、早剥を疑ったエコーの操作をしていないため、早剥が分からなかったにすぎないとしていることが認められる。

(2) しかし、《証拠略》によれば、武田教授は、エコーによる後血腫の確認は、解像度の向上した現在のエコー機器で初めて可能であり、本件においては、胎盤の異常発見に努めたが解像度不足のため異常が発見できなかったとしていること、《証拠略》によれば、昭和五二年、昭和五三年、昭和五五年発行の文献で、エコーによる早剥の診断について触れていない文献があること、《証拠略》によれば、昭和五八年発行の文献で、近年、超音波診断装置の改良により、各種の子宮内病変が鮮明な画像として描写できるようになり、その結果、胎盤剥離現象そのものを直接画像上の変化として認識できる可能性が高まって高い関心が持たれ、以前から、早剥の結果生じる後血腫は、超音波断層法により描写可能であるとして、既にそのエコーパターンに関する記載もみられているものの、早剥の超音波イメージは、典型的なフリーエコースペースがみられるとは限らず、組織境界不明瞭なものもあり、臨床的には早剥の症状を呈しているにもかかわらず、娩出後の胎盤所見が超音波所見と完全に一致していないなど、必ずしも単純でなく、出血巣の観察部位のみならず、その発症が急性か慢性か、あるいは時間的経過等が本症のイメージに大きな影響を与えるようであり、また、静止画像における診断上の問題点として、早剥例にみられるようなエコーフリースペースは正常例でもしばしば胎盤辺縁部分や基底部に観察されることがあり、それのみで判定するには無理があり、やはり、臨床症状、所見を伴ったものである必要があり、早剥発生部位とその原因、程度、血液凝固と融解といった経時的変化等の諸相に対応する各エコーパターンの描出と整理が今後画像読影上必要になってくると思われるとするものがあることがそれぞれ認められる。

(3) 以上からすると、エコーによる早剥の診断方法の研究は、昭和五〇年ころから行われ、その研究結果が文献等に報告されるようになったものの、本件事故のあった昭和六一年当時においては、必ずしもエコーによる検査診断の方法が確立していたとすることはできず、また、エコーの機器の性能についても全てのものが現在の水準には達していたとは限らず、種類によって解像度が低いものもあったことがうかがわれる。

(4) とするならば、被告らが児心音の有無を確認するとともにエコーを用いて胎盤の異常の存否を検査したが、使用したアロカ・エコー・カメラ二一〇Fが携帯型であったため、鮮明な画像を得ることができなかったことが認められる。

また、被告は、前記二認定のとおり、早剥の可能性を考えていたと認めることができ、エコーにより早剥を確定的に診断しなければ対処方法を決めることができず、エコーによる診断ができなかったことが原因で処置が遅れたとすることはできないから、エコーによる早剥の確定診断がなされなかったことをもって、被告らの過誤があったとすることはできない。

(四)(1) 次いで、《証拠略》によれば、早剥の際の急速遂娩について、出血傾向がある場合は、それが改善されてから分娩を行い、分娩進行が順調で、子宮口が全開大あるいは全開大に近い場合は、人工破膜、オキシトシン点滴によって分娩を促進して、吸引分娩術、鉗子分娩術、骨盤位牽出術を行い、子宮口が二ないし三横指径以上開大しているときは、人工破膜、メトロイリーゼ、吸引分娩、回転術に続く骨盤位牽出術などを行い、未だ子宮口開大が不十分なときには、腹式帝王切開術を施行すべきであり、特に、児が死亡している場合には、胎盤の剥離が相当進んでいることを示し、母体の全身状態の悪化が認められるため、児が生存している場合よりも早急に胎児胎盤を娩出させる必要があり、急速に経膣分娩に至ると予測される場合を除いては、帝王切開が選択されるべきであるとされることが認められる。そして、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、胎児死亡との診断が確認されれば、できる限り早期に死亡胎児とその付属物を母体外に出すことが原則であり、担当医としては、胎児死亡後その原因として早剥を当然念頭に入れて、可及的早期に死亡胎児を娩出させることを急務として行動すべきであるが、その方法としては、既に胎児が死亡しその救命の必要がない以上、帝王切開ではなく吸引分娩によるのが一般的であり、《証拠略》によれば、武田教授は、早剥で胎児が死亡したことが診断されるような場合、胎児の救命が第一義の帝王切開の適応とはならないし、早剥発症後の貧血は急速に進行するとは限らず、続発するDICのために凝固困難な出血が持続することで惹起されるもので、早剥で胎児死亡が確認された後は、血液凝固能を厳重に監視しながら慎重に経膣分娩を選択して対応するのが最善の方法であるとされていることが認められる。したがって、早剥が診断された場合の処置としては、可及的速やかに胎児、胎盤等の子宮内容物の娩出を図るべきであるが、担当医師としては、妊婦の症状等を把握する等して帝王切開あるいは吸引分娩のいずれかが相当とする方法を選択することとなる。

(2) 本件においては、前記二認定のとおり、被告は、同日午前七時、子宮口が九センチメートル開大してほぼ全開大の状態になっていること、児頭が骨盤内を下降しており経膣分娩が不適当と認められる状況は認められなかったこと、陣痛が二、三分間隔で発作継続が四〇秒あること、板状子宮硬結、腹痛、子宮出血等の異常所見もないことを確認して、経膣分娩が可能であると判断し、人工破膜を行い、胎児死亡を確認した同日午前六時四五分ころから約一時間一五分後の同日午前八時に胎児を娩出したもので、被告ら医師が、右施術を選択して医療行為をしたことが、不適切であったと認めることはできないし、人工破膜、吸引分娩の方法が不適切であったとも認められず、これらは産科的に支障はなく、一時間一五分という娩出時間が本件の分娩において遅延しすぎたと認めることもできない。

(五)  《証拠略》によれば、某医師は、クリステレル圧出法は子宮内圧を高め、DICやショックを一層助長するものであり、誤りであるとしていることを認めることができ、《証拠略》によれば、一宮博士は、早く分娩を完了させようとクリステレル圧出法によって分娩の促進を図っているが、分娩は正常な妊婦にとっても非常に体力を消耗する作業で、早剥のため高度の貧血状態にある妊婦の心臓は、とても分娩の体力の負担には耐えられず、また、子宮内圧も高めるため、早剥であればいい筈がなく、妊婦を一層窮地に追い込んだとしていることを認めることができる。

しかし、前記二認定によれば、クリステレル圧出法は、三輪医師が、光子の横に立ち片手で一回子宮底付近を押して行ったにすぎず、右の某医師及び一宮博士の見解は、五、六回クリステレル圧出法を行ったとの原告らの主張を前提としていると考えられ、むしろ、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、一回程度の内容で、特に損傷などの人為的合併症につながったとは考えにくいとしていることを認めることができるのであり、三輪医師のクリステレル圧出法の併用が光子の症状を悪化させたとすることはできないし、羊水が混濁している場合に、被告らが行った急速遂娩法が不適切であったと認めるに足りる証拠はない。

(六)  そして、被告らのこれらの処置が誤っていたとすることはできないし、被告医院の諸設備や診断あるいは分娩に関する診療体制等の諸事情を勘案すると、本件の場合、光子を大病院に転送しなければならない必要性は認められない。

5  請求原因4(五)について

原告らは、被告のDICに対する処置が不適切であったと主張する。

(一)  《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 血管内凝固症候群(DIC)は、全身の小血管に多発性の血栓を来す疾患であり、そのために血小板、フィブリノーゲンを始め各種凝固因子が消費され低下することにより生じる出血性素因と血栓による臓器症状が臨床的に問題となること、

(2) 早剥においては、母体側では、剥離面からの出血によるショック及びDICないし血栓による腎障害を引き起こすが、DICの危険が非常に大きく、血液凝固因子が失われてDICを生ずると出血は止らず、出血性ショック状態ともなり、子宮自身低酸素状態となり収縮不良となって、血管が閉鎖されないことによる出血が続くという悪循環が生じ、循環血液不足が全身に及び多臓器障害を生じ心不全となること、

(3) 早剥にDICが好発する原因としては、胎盤剥離による後血腫の増大、子宮の持続的収縮による子宮内圧の上昇があり、活性化凝固因子を含む後血腫の血清成分と胎盤、脱落膜に高濃度に存在する組織トロンボプラスチンの母体血中の流入、さらには羊水の血中への流入などが挙げられ、その結果として、血管内血液凝固が引き起こされると考えられていること、

(4) 早剥の場合のDICの診断としては、早剥は急性の経過をとることが多いため、複雑な検査をしている余裕もなく、また、検査結果の判明を待たずに治療を開始しなければならない場合も多く、このような場合は、余りこだわらずに臨床的事項に重点を置いた産科DICスコアで点数を付け、点数によっては、DICとしての治療を開始するが、確定診断のため、また、病態理解のため、必要最小限度の検査として、赤沈の遅延の検査、厚生省DICスコア算出のため、フィブリノーゲン、血小板、FDP(フィブリン分離産物)、プロトロンビンの各検査、最近の新しい検査として、TAT、PIC、可溶性フィブリンモノマー、FDPなどがあること、

(5) そして、<1>全身状態が一般に重篤であること、<2>非凝固性出血が認められること、<3>注射部位などの紫斑形成傾向の強いこと、<4>出血時間の延長(血小板数の代用として、出血時間四ないし一〇分以上、全凝固時間一〇分以上)、<5>赤沈値の遅延傾向(フィブリノーゲンの代用として、一時間当たり一〇ミリメートル、一五分当たり四ミリメートルに達せず)などが緊急時のベッドサイドにおける診断として参考となるほか、<6>血小板数(一〇万以下が要注意)、<7>血漿フィブリノーゲン(一〇〇ないし一五〇ミリグラム/デシリットル以下が要注意)、<8>血清FDP値(四〇ないし八〇マイクログラム/ミリリットル-一〇マイクログラム/ミリリットルとする文献もある-以上が要注意)、その他、線維素原、プロトロンビン、第[5]、第[7]因子、プラスミノーゲンなどの測定やTEG検査などで更に確定診断の裏付けをとるべきであること、また、血液の線維素溶解現象を臨床的にみる簡易凝固観察試験(クロット・オブザーベーション・テスト、試験管に約五ミリリットルの血液を取り、斜に立てて一五分後及び三〇分後に観察するもので、凝固していれば正常で、凝固していないか、凝固していても凝塊が小さければ低線維素原血症を疑うもの)もあること、

(6) DICの状態は静止状態にあるものではなく、凝固亢進期、線溶亢進期、消費性凝固障害期、回復期などいろいろに変化し、そのサイクルパターンは短く、早剥による内外出血による大量出血に伴い、ショック状態の増強やDICによる各種症状が出現するが、産科出血によるDICのサイクルパターンは白血病や悪性腫瘍例に比して極めて急速であり、持続的に凝固因子が供給されることで重症化するため、まず、凝固因子の持続的供給を停止する目的で早期に原因を除去する必要があり、ある限られた時間内に胎児・胎盤を娩出させることが重要であること、

(7) そして、早剥時には、大量出血、ショック、DICなどによる影響や変化がみられることから、分娩終了後あるいは急速遂娩に先行して、大量出血、持続出血への対応の外、DIC及びそれに引き続く低線維素原血症、凝固障害、急性腎不全、血清肝炎、高血圧、蛋白尿などに対する諸注意が必要であり、各血液成分の補充並びに抗凝固療法及び酵素阻害剤による治療があり、前者として、補液(電解質液)の実施、必要に応じ保存血、新鮮凍結血漿、血小板、新鮮血などを輸血し、大量出血とDIC双方の治療という意味で新鮮全血輸血が望ましいが、新鮮血の使用ことにドナー血の使用については各種感染症のチェックを十分に行う必要があり、後者として、FOY、トラジロール、アンチトロンビン[3]、ヘパリン、ミラクリッド等を用いること、そして、産科ショック全般に対して、直ちにVIP療法(気道の確保・酸素吸入、静脈確保・輸液・輸血、心拍出量の確保)を取り、中心静脈圧測定下で管理し、状況に応じてステロイドホルモン、末梢循環改善剤、強心剤、フィブリノーゲン製剤などを投与するとされること、

以上の事実を認めることができる。

(二)  本件においては、前記二認定のとおり、同日午前六時四五分ころ、胎児胎内死亡と診断された後の被告らの処置は、同日午前七時、人工破膜、光子の右腕での血管確保、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴開始、同日午前八時、吸引分娩による胎児娩出、同一分、臍帯血採血、光子の左腕での血管確保、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルにチアミラーゼ(栄養剤)、グルタチオン(肝庇護剤)、ハイビリドキシン(ビタミン剤)、ビタミン剤、プロスタルモン(子宮収縮剤)、メイロン(電解質薬)、メンテルギン(子宮収縮剤)を加えた点滴の開始、子宮収縮のための腹部冷却、左頚管裂傷の縫合、光子の顔色不良及び手足冷感に対する湯タンポ、同一四分、膣内ガーゼ三枚挿入、自動血圧計装着(血圧一〇一/五八)、右腕からのサヴィオゾール(代用血液製剤)五〇〇ミリリットルの点滴開始、同一六分、採血、血沈検査、一般検査等の外注、同一八分、光子の血圧低下(八一/三三)に対し、葛飾赤十字血液センターへの二〇〇ミリリットルの血液(保存血)三本要請、同二三分、ソルコーテフ(昇圧剤)五〇〇ミリグラム側管注入、同四〇分、血液到着、クロスマッチテスト、同四五分、保存血一本二〇〇ミリリットルの輸血開始、患者監視装置(心電図、脈拍計)装着、同日午前九時、出血量確認(同日午前八時一八分以降二八グラム)、排尿用バルンカテーテル装着(尿量二五ミリリットル)、子宮収縮不良、転送要請、同一八分、左腕からラクテック(輸液)五〇〇ミリリットル追加、右腕から二本目の輸血二〇〇ミリリットル開始、同三五分、ガーゼ抜去、子宮収縮不良、暗赤色出血三〇〇ミリリットル、再度ガーゼ三枚挿入、再度確保された右腕血管からサヴィオゾール(代用血液製剤)五〇〇ミリリットルの点滴開始、輸血二本半終了、同三九分、メイロン(電解質薬)三A側管注入、同四〇分ころ、心肺停止、同四一分、気管内挿管、酸素投与開始、同四二分、心マッサージ開始、ボスミン(強心剤)一A側管注入、同四六分、ノルアドレナリン(強心剤)一A点滴開始、同五〇分、救急車到着、同日午前一〇時、救急車出発というものであり、静脈確保、輸液、輸血、自動血圧計、患者監視装置による管理、昇圧剤、強心剤の投与といった措置が、患者の容体に対応して行われており、これらの措置が不適切であったとすることはできない。

(三)  この点、《証拠略》によれば、某医師は、ショックに対する措置の時期について、胎児死亡が確認された時点で、早剥を考え、血圧、蛋白尿、時間尿など、ショック、DICに対する可能な検査を行い、胎児が死亡するような重症で、発症後二時間以上経過していることからすると、ショック、DICに対する処置を行うべきで、外出血が七〇〇ミリリットルでも、子宮壁、周辺の広間膜、後腹膜などへの内出血を加えればかなり多量の筈であり、同日午前六時二〇分に導尿を行い、同日午前九時の計測で二五ミリリットルと正常値(一時間当たり二五ないし五〇ミリリットル以上)を下回っていることからすると、同日午前七時三〇分ころには中度のショック状態にあった筈であり、尿以外のショック症状がなかったというのは不自然で、同日午前八時一四分に入院後初めて血圧検査がなされたのは極めて杜撰であり、時間尿、血算(ヘモグロビン赤血球、白血球数の算定)も行われていないのに、ショックがなかったとは診断できないはずであり、母体の危険に対して、モニタリングを積極的に行い、エコーを反復し、血圧、時間尿を頻繁に測定し、三〇分から一時間毎に採血をして保存するといった当然に行われるべき補助診断を行っていないとしていることを認めることができる。

また、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、少なくとも、胎児死亡が確認される以前から、ある時間的な経過を経て早剥が発生しており、同時にDICが進行してきたことが考えられ、死亡胎児が娩出される段階で母体にはある程度のDICの状態があったとしていることを認めることができ、また、《証拠略》によれば、一宮博士は、本件の経過、順天堂浦安病院での胎盤病理解剖所見にみられるフィブリンによる血栓、同日午前八時一八分のプレショックからすると、同日午前七時から八時の間に手遅れになったとしていることを認めることができる。

(1) しかし前記二4(五)のとおり、同日午前七時三〇分ころ、光子が中度のショック状態にあったとすることはできない。

(2) また、前記二認定のとおり、本件においては、同日午前八時一六分における採血の血沈値は、三〇分値は三であったが、一時間値は一九、二時間値は四二であり、また、外注に出した血液検査の結果は、白血球数一万六九〇〇(正常参考値四五〇〇ないし八〇〇〇)、赤血球数三四七(正常参考値三八〇ないし四八〇)、血色素量一〇・〇(正常参考値一二ないし一五・二)、ヘトマトクリット三〇・一(正常参考値三四から四二)、血小板数二四(正常参考値一二ないし四〇)、中性脂肪四四八(正常参考値四〇ないし一七〇)、PPT(血漿トロンビン時間)一一・五(正常参考値八なし一二)、PT(プロトロンビン)活性度一〇〇(正常参考値八〇ないし一〇〇)、トロンボテストGT一〇〇(正常参考値GT七〇)、PTT(部分トロンボプラスチン時間)五二(正常参考値四〇ないし一〇〇)、APTT(活性部分トロンボプラスチン時間)二八・五(正常参考値二八・〇ないし三六・五)、CA(血漿カルシウム)再加凝固時間九一(正常参考値九〇ないし一四〇)、フィブリノーゲン二四〇(正常参考値一七〇ないし四一〇)、ヘパプラスチン一五二・四(正常参考値七〇ないし一三〇)で、白血球、赤血球、ヘトマトクリット及び中性脂肪については、正常参考値から外れているが、その他の検査結果は、いずれも正常であり、同日午前八時一六分の時点で光子のDICが重篤化していたとすることはできない。

なお、被告は、簡易凝固観察試験を行っていないが、仮に右試験を行っていたとしても、これらの血液検査の結果からすると、同日午前八時一六分以前に採取された血液では、異常の発見は困難であり、右時刻以降に採取した血液について検査し、異常が発見されたとしても、光子は同一八分にはプレショック状態に陥っているのであり、有効な検査とはなり得なかったと考えられ、被告が右検査を行わなかったため、処置が遅滞したとすることはできない。

(3) そして、前記二認定のとおり、同日午前八時一四分の血圧は、一〇一/五八と正常であったのであり、これ以前に血圧の測定が行われていなかったことをもって、管理が不十分であったとすることは困難である。

(4) さらに、《証拠略》によれば、早剥の発症からDICの発症までの時間については、生体は、凝固系の恒常性を維持しうる防御機構があると考えられ、このために、早剥の発症からDICの発症までにある程度の時間があることが多く、初発症状の発生から胎児・胎盤娩出までの経過は、診断時期、転送までの時間などで様々であるが、DIC発症群では、このいずれの時期に発症し、胎児・胎盤娩出時にはすでにDICが存在したことがうかがわれ、DIC発症例と非発症例の時間経過の平均をみるとDIC例では、初発症状から約八時間(八・三±三・九時間)経過して胎児・胎盤娩出がなされており、非発症例では、約四時間(三・九±二・三時間)であり、早剥の初発症状発現後四ないし六時間がDIC発症のクリティカルな時間帯であると考えられ、初発症状発現後早期に診断し、早期に原因である剥離した胎盤の除去を行う必要があり、早剥は、軽症のまま経過するか重症に移行するかの見極めは困難であり、凝固障害を併発する他の疾患(急性妊娠脂肪肝など)を合併した妊婦に発症すると短時間に重症なDICに移行し、妊娠中毒症は慢性的なDIC状態を発生し、早期剥離との合併も多く、特に重症妊娠中毒症に早期剥離が発症すると重篤なDICに移行することが考えられ、また、早剥の発症から児娩出までの時間と母児の予後との関係を検討したいくつかの報告によれば、発症後五時間ないし六時間以上経過すると母体のDICの危険性が高くなり、胎児予後も不良になるとされていること、発症後五ないし六時間以内に患者を来院させ、早剥の診断をつけ、児娩出を図らなければならず、早剥の初発症状の特徴をしっかり把握し、患者の訴え、臨床症状から早剥を疑い、直ちに来院させることが絶対的に必要であるとされることを認めることができる。

したがって、早剥に基づくDICへの対処としては、早剥の初発症状発現後四ないし六時間がDIC発症のクリティカルな時間帯であり、発症後五ないし六時間以内に患者を来院させ、早剥の診断をつけ、児娩出を図れば足りるとの見解もあり、早剥が判明した場合、直ちにDICへの対処を行う必要は必ずしもなく、患者の容体を観察しながら適宜DICへの対処を行うという治療方法をとることも医師の治療方針として認められているというべきである。

(5) そして、鑑定の結果によれば、鑑定人鈴木秋悦は、同日午前八時一八分に血圧が低下し、ショック症状となったが、その原因としては、分娩時の七〇〇ミリリットルの若干多めの出血だけではなく、早剥が関与していると考えられ、一般に、早剥に続いて起こる出血性ショックは、一般にその病態像が非常に複雑で、子宮収縮が悪いために弛緩性出血の原因となり、さらにDICを合併していることが多いために、いわゆる失血多量によるショックとは様相が異なり、全身症状を悪化させ、急性腎不全、急性心不全という重篤な症状に移行することも稀でないことから、本件でもこのような原因により患者が急性にショック状態に陥ったと考えられるが、本件においては、早剥の発症時期が不明であるため、DICがどの時点で母体の予後を悪化させたかを推測することは難しいとし、DICの進行には、十分注意しなければならないとしても、DICの進行経過の予測は非常に難しいこと、早剥後に必発するとされている弛緩性出血の症状についても、外出血の量がそれほど多くなかったこと、血圧が安定せず、プレショックの状態で暫時経過したことなど、予測のつきにくい幾つかの要素があり、DICの病態が急激に悪化するとは考えられず、同日午前八時一八分にショック症状を呈してから、対処療法の結果、二〇分後、若干血圧も上昇して好転の兆しがみえ、同四〇分から輸血を開始したが、再びショック状態となり、転院となったが、早剥分娩、DICの可能性、子宮収縮不良、ショックという状態が続いており、一般的な産科臨床では、可能な限りの対症療法を行って、血液の到着を待ち、患者の全身状態を少しでも改善してから、転院先に行動をとることが常套手段であり、患者の状態が最悪のまますぐに転院ということはあり得ないこと、七〇〇ミリリットルという出血量からすれば、輸血の時間が遅いとはいえないこと、保存血を輸血しているが、この場合、必ずしも新鮮血でなくてもよく、保存血八に対して新鮮血二の割合で十分と考えられること、尿量の測定を同日午前九時に行っているが、尿量測定のみでショックの病態を掴むことは難しく、あくまでも結果的な問題であること、血液凝固抑制剤は使用されていないが、これは時に出血傾向を来す可能性があり、使用しない場合もあることからすれば、同日午前九時に転院のための行動に移り、同三四分、転院が可能となり、実際に順天堂浦安病院に救急車で向かったのが同日午前一〇時であったが、この転院時期が遅かったとはいえず、輸血、輸液、ショック対策、転院といった全身状態の改善に努力した医師側に問題があったとすることはできないとしていること、《証拠略》によれば、一宮博士は、医療側が胎児分娩直後に早剥に気がついてからの処置については、結果的に遅かったがやむを得なかったとしていることを認めることができる。

本件においては、前記二認定のとおり、娩出時の出血は、七〇〇ミリリットルで、同日午前八時一分過ぎに光子の顔色不良が認められたが、同一四分の血圧は、一〇一/五八と正常であり、子宮底高も臍下二横指であったところ、同一八分、血圧が急激に八一/三三と低下してプレショックとなり、同二三分、七二/三三、同二六分、八二/三六と血圧低下が続いたが、同三八分には、意識明瞭で、血圧は一〇一/五二に回復したが、その後、同四五分、八八/四四、同五〇分、一一一/八四、同五一分、八五/三九と推移し、同日午前九時、二八グラムの出血確認、子宮収縮不良、同一〇分、血圧八八/四二、同一八分、八五/三四、同三五分、三〇〇ミリリットルの出血確認、同三九分、九二/三〇、同四〇分、意識不明、心肺停止となったものである。

したがって、同日午前八時一八分に血圧の低下が生じるまでは、光子に顔色不良の外に特段の異常は認められず、七〇〇ミリリットルの出血に対して、同日午前七時過ぎに右腕に、同日午前八時一四分に左腕にそれぞれ血管確保がなされ、補液、栄養剤、肝庇護剤、子宮収縮剤、電解質薬等が点滴されていた以上、同日午前八時一八分以前において、これらの外は光子の容体を観察しながら対処して行くとの治療の在り方が、誤っていたとすることはできない。

また、同日午前八時一八分以後の処置については、右(二)のとおり、ショックに対する患者監視、輸血及び輸液、昇圧剤、強心剤及び電解質薬の投与、気管内挿管、酸素投与並びに心マッサージといった措置が取られているのであり、ショック状態への対処として不適切な点があったとすることはできない。被告は、血液センターに対し、保存血を要請し、保存血の輸血を行っているが、右(一)(7)、(三)(5)のとおり、新鮮血の輸血が望ましいとされているものの、保存血の輸血が不適切であるとは認められないのであり、この点について被告に注意義務違反があったとすることはできない。

なお、被告は、抗DIC薬剤を使用していないが、《証拠略》によれば、武田教授は、本件当時、DICに対する薬剤を個人病院が揃えていたことはなく、日本母性保護医協会が具体的な出血対策をまとめたのは、昭和六三年九月であったとしていることを認めることができ、被告医院での抗DIC薬剤の不使用をもって、注意義務違反があったとすることはできない。

(四)  そして、前記(三)(4)のとおり、早剥が判明した場合、直ちにDICへの対処を行うことが一般的な治療方法であるとは認められない。むしろ、患者の容体を観察しながら適切な時期にDICへの対処を行うことを含めた適正な治療方法をとることが、医師の治療方針として必要であるというべきところ、本件においては、前記認定のとおり、被告が採った転送の処置よりも早期に光子を大学病院その他の大病院に転送しなければならない必要性も認められない。

(五)  むしろ、前記認定のとおり、本件においては、羊水塞栓が合併し、急激に容体が悪化し、止血・蘇生措置が効を奏しなかった可能性を否定できないのであり、被告らの光子に対する容体の観察や症状に対する診断や治療行為等に照らして右羊水塞栓の合併の発症を予測してこれに対処することは困難であると認められ、又、この間の被告らの対処に過誤があったと認めることもできない。

6  したがって、請求原因4は、いずれも理由がない。

五  以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 星野雅紀 裁判官 金子順一 裁判官 増永謙一郎)

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